休日の過ごし方がわからない
「充実した休日の過ごし方は?」
社会人になってから、休日の過ごし方が分からなくなってきた。
仕事は、今のところ死ぬほど忙しいわけではないので、土日は割りと体力が余っている。
さらに幸運な事に、僕には友人や恋人がいないため、休日の48時間は全て自らに投資することができる。
さあ、何をしよう。
一日、スマホゲームやYouTube、AV鑑賞をしたりする日もあるが、そんな日は時間を無駄にした気がする。「なんかもっと楽しく過ごせたのでは?」
かといって、特別趣味があるわけではないのでどう過ごそうか困る、結局は家事をやって、ちょっと街に出て買い物、あと読書、飲みの誘いがあればいく。
こんな休日の過ごし方をこれからもずーっと続くかと思うと恐ろしい。
平凡。刺激がほしい。ハバネロでも食おうかな。
いや、やめとこ。
正直、美味しい物を食べたり、好きな服買ったりするのは興味がない。興味がないというよりは、金がないから諦めている。だから、物欲もめちゃめちゃあるわけではない。しかし、性欲はめちゃめちゃある。
でも、性欲を趣味にするってのはちょっと違うな。
自己紹介するときに、「趣味は性欲です」
っていうやつがいたら、こいつは性犯罪者予備軍って思われるのは容易に想像できる。
さあ、何をしよう。
何をしたら楽しいのだろう。
自分の欲求が満たせるのはなんだろう。
昔、マズローっていうめちゃめちゃ賢い外国人が人間には段階的な欲求があると言っていた。
1.生理的欲求(食欲、睡眠欲、性欲)
2.安全の欲求(生活が確保されている)
3.所属と愛の欲求(どこかの集団の一員である)
4.承認の欲求(自分という存在を誰かに認めて欲しい)
5.自己実現の欲求(こういう人間になりたい)
簡単にいうと、1の欲求が満たされたら、2の欲求へ。それが満たされたら3の欲求へと、欲求のステージがあがる。
僕くらいのレベルであれば、当然1の性欲でふみとどまっている。
まあ、冗談はさておき、3~4あたりなのかなと思う。自分は、多少周りと変わっている人間だと多少感じるが、ホントに変わっている奴、個性強い奴を、ネットやリアルで見ると、自分なんて平凡な人間だと感じる。
人間にとって、自らを平凡、取り柄のない人間と思うことはこの上なくきつい。
「自分は優れた人間である、ありたい」と例外なく思う生き物である。
だから、自分みたいな人間が生きている意味なんてないと自殺する人間がいるのだ。
ってどこかの偉い学者が言ってた。
話はそれたが、とにかく誰かに自分のセンス、知的さ、洞察力、顔面、人とは違う視点で物事を見ることができるってことを認めて欲しい。社会に認めて欲しい。カモン、👍
まさに、僕はSNS世代を代表する承認欲求モンスターである。
といいつも、安易にSNSでわかりやすく承認を得ようとするのはあからさまでいやである。
女性とデート中に、食事の写真をとるとき、あえて相手の女性の皿がうっすら入るように撮るタイプである。
まあ、困った野郎だ。
とここまで、書いたが上記の特徴は、実は、SNS世代が合わせもつ特徴なのだ。
さて、
これほど食う寝ることに不自由ない生温い世の中において、人が次に欲するものはなんだろう。。。
そう、誰かに認めて欲しいってことじゃないか。
さあ、今週はオナニーでもしよう。
ではでは