大人の階段を上った日①
大学3年生の頃、友人ら3人とバーに行くことになった。
僕は、二十歳になってからというもの、少し一人になりたい時や、物思いに耽たい時、恋人とうまくいかなかった時、なんとなくマスターと少し会話をしたい気分の時に、バーに立ち寄るということは、一切なく、バーと無縁の学生生活を送ってきた。
本当の理由は、大人の世界を体験して、「自分もこういうお店にはいれるようになった」と自己陶酔に浸りたかったからである。
僕は、少し小洒落た感じの隠れ家的な場所に立地する、いい感じの雰囲気で、いい感じのクラシック音楽が流れており、いい感じのマスターが、いい感じの手つきでシェイクをしつつ、いい感じのカクテルを出し、いい感じの常連さんといい感じの会話をしていそうな、いい感じのバーをGoogleで探した。
当日、我々はそのバーに、独特の緊張感を持って向かった。
無駄に重厚な扉を開けた先には、バーカウンターが8席程あり、そのカウンターの奥の壁面には、何百何千はあろうかという、ウイスキーやブランデーやリキュールやらの酒瓶が壁面一杯に鎮座していた。
そして、バーカウンターの奥に40代中盤と思われる男性がパリッとした白シャツに、少し白髪交じりの顎鬚を蓄えて、おじいちゃんが読書する時のような眼鏡をかけて、こちらを見ていた。
カウンター席に案内された、バー童貞の3人は、マスターにメニューを下さいと言った。
「うちにメニューはありません」
困惑するチェリーボーイズ。
必死で、脳内から今まで出会ってきた数多のカクテル達の姿を思い浮かべる。
カシスオレンジ、カシスソーダ、スクリュードライバー、カルーアミルク、、、、
「くっそ、お前らじゃねええええ」
これらのカクテルは、よく分からないけど、渋いバーで注文するものではない気がした。
このようなカクテルを注文した暁には、我々のバー童貞ぷりを露呈し、マスターになめらるだろうと瞬時に判断した。
好きなサザンの曲は?と聞かれた時に、サザンに詳しくないやつが「TSUNAMI」と言う、あの感覚である。
だが用意周到の僕は、こんな時のために、あらかじめ通っぽく聞こえるカクテルを下調べしておいた。
それは、何か?
「ジンフィズ」だ。
僕は、ジンフィズが何かはよくわからない。
ただ、通が頼むカクテルであることをネット記事で見た。
ジン・フィズは、1ヘンリー・ラモスが初めて作ったとされている。フィズ (fizz) とは、ソーダ水の泡のはじける「シャーッ」という音を表す擬音語である。スピリッツやリキュールに甘味(砂糖)、酸味(レモンなど)を加えてシェークし、ソーダ水で割った飲物
ジンフィズは、ジンとソーダ水から作られるカクテルであり、そのシンプルさ故、マスターの技術が一番よくわかる飲み物で、その店の実力がジンフィズに集約されているといっても過言ではない。
僕は、隣で悩んでいる二人を横目に、自分の方がカクテルに対する知識が豊富だという一種の優越感に浸っていた。
そして、いつもより2オクターブ低い声で、かつ戦場カメラマンの渡部陽一さんを意識し、ゆっくりとした動作でマスターに注文する。
「すいません。ジンフィズ一つ」
するとマスターが、
「ほー、いきなりジンフィズを頼むとは、なかなか玄人ですね。さぞ、色々な所でお飲みになってきたんですか?」
といったような表情でこちらを見た。
さっそくマスターは、シェーカーに何かしらの液体と氷を、こなれた手つきで投入していく。
そして、タフィ・ローズばりにシェイクした後、ジンフィズをグラスに注ぎ、僕の目の前に置く。
2007 6 13 オリックスvs読売 タフィ・ローズ 21号ホームラン
僕は、まずグラスに触れ温度を確認し、表面の炭酸の抜け具合を鬼のような形相で確認し、そして匂いを嗅ぐ。
この動作を終えテイスティングに入る。深呼吸をした後、少し遠方を意識し、一口ゴクリ。
口の中に入ってきた液体を、舌の上で丁寧に踊らせ、アルコールのボリューム感を確認した後、ジンの爽やか香りを鼻から抜けさせる。
なるほど。わかるよマスター。さすがにわかる。私には、他の店との違いがね。これは、今までのジン系のカクテルの中で、圧倒的にアルコール度数が強い。
一切、この店のジンフィズの実力はわからなかった。
しかし、我々は確かに大人の階段を一段上った。
さあ、次は、マティーニでも頼もうか。
ではでは